夢の中を散歩する
2024.02.29
1月まで世田谷美術館で開催されていた「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」を観にいきました。
倉俣史朗は1960年代から90年代初期まで活躍し多くの家具や店舗を手がけたインテリアデザイナーで、
“少し以前に僕は、具体的に使っていない時にでも、見てきれいな、つまり視覚的に意味をもっている家具、ということを考えていたが、最近はむしろ使うことを目的としない家具、ただ結果として家具であるような家具に興味をもっている。
(「アンケート ファニチュア・デザインのなかの問題」、『インテリア」第118号、1969年1月)
という言葉の通り、家具の機能の中に「視る」という要素を見い出し
身体に寄り添うということに留まらず空間を構成するひとつのものとして考えた人でした。
透ける素材でつくられた家具や無数の引き出しなど、おおよそ普段目にする家具とは似つかない作品群は
潜在意識の中の家具によっておぼろげになりながらも確かな存在感をもって鎮座していました。
会場にはアイデアスケッチや夢の日記も展示されており、
夢の中に遊びにいったようなふわふわとして心地よい展示でした。
会場に掲載されていた倉俣史朗の言葉がSFのようでおもしろかったため図録も
少しずつ見返して反芻していければと思います。
展示内は撮影不可だったためこの場でご紹介できないことが残念ですが、
現在は富山県美術館、その次は京都国立近代美術館と巡回しています。
ぜひ多くの人と共有できたらと思います。
そして世田谷美術館は建物自体もとても魅力的です。
砧公園の中にある内井昭蔵設計の本建築は1985年竣工。
約40年前の建築物ですがむしろもっと前の時代に建てられたような迫力のある建築物です。
この建物の重厚感がより倉俣作品の今にも浮かびだしそうな感覚を助長していたのかもしれません。
美術館というとその性質上クローズドな空間であることも多いですが
外部の光や緑が感じられる場所が不意に現れ、公園とのつながりを感じる建築物です。
時代は変われども人にとって心地の良い環境というのはそう変わらないものだと実感します。
冒頭の倉俣氏の言葉に戻りますが、
使用していない時には完全に身体から離れている家具とは違い、
建築はいま直接身体に触れていない天井や壁なども
それぞれがその空間の音や温度、空気を環境づくる要素になっています。
倉俣史朗の思想をそのまま取り入れて大胆にとはいきませんが
それでも建築という膨大な時間と資源を消費する活動を行っている以上、
常に美しさに対しても貪欲でいなければ、と思いました。
matsushita